奈良クラブの歴史をユニホームで振り返ってみよう。
まず、奈良県リーグ1部の2008年。
アディダススタンダードモデル。
初めて奈良クラブの試合を見たのが吉野での土のグラウンド。
府県リーグ決勝大会で全勝し関西リーグ2部昇格。 pic.twitter.com/izVzj9ar6E
— ファンタジスタ・シンジ (@shinji826) 2015, 1月 25
2009年、2010年はユニホームの前にせんとくんがプリントされた。
09年天皇杯で初めてJクラブと対戦した時、新潟サポーターに囲まれてユニホーム写真撮らせてと言われたのが記憶に残っている。
一方でアウェイユニは番号が見えにくかった。 pic.twitter.com/aCSiosoZmS
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2011年、ユニホームに唐草模様が入りJリーグ初期を思い出させるデザインという印象だった。
この年に関西リーグ1部初優勝を果たすも地域決勝でグループリーグ敗退。
そして奈良クラブを立ち上げた矢部次郎が現役引退し、翌年からGMとなる。 pic.twitter.com/aAVyJrR88W
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2012年。この霰小紋のデザインがtwitter祭りの始まりだった。
巷ではパジャマと言われたデザインを大変気に入ったのが天皇杯で対戦したセレッソのレヴィー・クルピ監督。ブラジルで自ら経営する日本食レストランあずきに飾っているらしい。 pic.twitter.com/Lk8YyWS0HT
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2013年は大和吉祥文モデルでユニホーム中に縁起の良い生き物を散りばめたが成績は辛うじて2部降格を免れる悲惨な結果に終わる。しかし、夏に加入した岡山一成がこの泥沼なチーム状態からの脱却をサポーターの前で誓った。 pic.twitter.com/ZpOnHEwIIF
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2014年、立涌・鹿の子モデルで奈良クラブは大躍進。
天皇杯では小野、岡山のゴールでJ1仙台に勝利すると関西リーグ1部でFC大阪に圧勝し、その勢いで優勝すると地域決勝で優勝しJFL昇格を成し遂げる。
奈良に一つの夢が叶った1年だった。 pic.twitter.com/mGuhA6S2oi
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そして今日いよいよ今シーズンのユニホームが発表。
毎年twitterでお祭り騒ぎになり、公式ホームページがサーバーダウンする。
はたして今年はどんなモデルや?
1/25(日)19:30に2015シーズンユニフォームを発表いたします! http://t.co/1KupDMwuqV
— ファンタジスタ・シンジ (@shinji826) 2015, 1月 24